History

Woven Cityが建てられるのは、静岡県裾野市の一角。
トヨタの東富士工場があった場所です。
1960年代から続く歴史を基盤として、
今後も地域の皆さまとともに歩んでまいります。

裾野市とトヨタグループの歴史

1966年11月、自動車性能試験場、後の東富士研究所が完成。翌1967年5月には乗用車組立工場、後のトヨタ自動車東日本東富士工場が稼働を開始しました。

街いちばんの会社になるために

それ以来、トヨタ自動車は市域の皆さまから愛され頼りにされる、この町いちばんの会社になりたいと願い続けてきました。

そして50年以上の長きにわたり裾野市の皆さまとともに成長してまいりました。事業を通じた貢献に加え、地域貢献活動を通じて地域の皆さまとの交流を深めてまいりました。1977年からはトヨタスクールと呼ばれる社会科見学、工場見学などでの受け入れを開始。のべ4万人の子供たちに、自動車産業や地域産業について学んでいただきました。

Woven Cityの原点

2011年3月11日に発生した東日本大震災。トヨタ自動車は東北地方で雇用を創出し、納税し、復興を長期的に支えるために、東北地方での工場設立を決断しました。

そしてこれを実現するため、2020年12月、累計7000人の従業員が働いたトヨタ自動車東日本の東富士工場が閉鎖されました。

それまでこの工場では、マークIIシリーズやアイシス、クラウンコンフォート、ジャパンタクシー、センチュリーなど40車種以上を世の中に送り出し、累計752万台もの車両を生産してきました。

まさに日本のモータリゼーションをけん引し、人々の暮らしを支え、クルマ文化をつくってきました。

TMEJ従業員の方とのエピソード

トヨタ自動車社長の豊田(当時)が東富士工場を訪れた際、「東北に移ってまた皆でクルマをつくっていきたい。だが人それぞれ事情があるから、すべての仲間がそうできるわけではない」と、涙ながらに想いを語った従業員がいました。

自分のことよりも、仲間のこと、人の気持ちを一番に考える。トヨタ自動車東日本の従業員が築いてきたそのような歴史が、この東富士には根付いています。

Woven Cityは更地の上にできる街ではありません。皆で築いてきた歴史や想いをしっかりと受け継ぎ、ヒト中心の街づくりを進めてまいります。