想いを繋ぐ人
TMEJ 東富士工場当時の従業員

Woven Cityの礎となる
東富士工場の想い

日本のモータリゼーションを支えてきた東富士工場。閉所という厳しい運命を前にしても「自分以外の誰かのために」という想いは変わるどころか、さらに輝きを増し、Woven Cityへ脈々と受け継がれています。この想いの架け橋となった当時の従業員の方にお話を聞きました。

「『仲間を想う心』を大切にする東富士工場の職場文化は一朝一夕に作られたものではありません。」当時、工場の運営を担う工務部部長として東富士工場の閉所を見届けた賢木和義さんはいいます。
2012 年の関東自動車工業、セントラル自動車、トヨタ自動車東北の3 社統合・トヨタ自動車東日本(TMEJ)発足後、生産ライン再編や他工場の応援など大きな環境変化も重なり、今まで以上に、部門やライン、そして会社の垣根を越えて助け合うことが必須になりました。

Woven Cityの礎となる東富士工場の想い #01

そこで、元々あった助け合い文化を呼び覚ますための第1 歩は、「朝の挨拶活動」でした。「そんな当たり前のことが大切だと思っています。(工場の)玄関口である正門に立って、あるいは近隣の清掃をする時、他の従業員やご家族、地域住民に率先して挨拶をする。そこから仲間をどんどん増やして、最後は社長も一緒にやってくれました。すると工場内の整理整頓や清掃、作業中の立ち姿まで、景色ごと意識が変わっていったのです」

工場が未来に繋がっていくという自負

様々な活動を進めるも、復興のため、徐々に生産を東北に移していくなか、2018 年5 月ついに東富士工場の閉所が決定。この時、経営側と従業員のどちらの想いも理解していた賢木さんは、当時をこう振り返ります。
「5 月の連休直前のことでした。白根社長(当時)が部長職以上を集めて話してくれました。連休中はずっと悩みました。でも、いざ各部のメンバーを前に閉所を伝えた時、口をついた言葉は『悪かった』で、前向きなことが言えませんでした。でも皆、『俺たちは大丈夫』とか、『十分に自分たちを想ってくれたのは伝わったから』、と言ってくれて…」

Woven Cityの礎となる東富士工場の想い #02

2 か月後の2018 年7月。新型車の式典のために東富士工場を訪れた豊田章男社長(当時)との従業員集会が開かれることになりました。その場で、一緒に東北へ行けない仲間への想い、そして東富士工場の将来について豊田社長に直接質問したのが、当時工場の塗装工程で勤務していた長谷貴樹さん。当時をこう振り返ります。「何を聞いても構わないと言われましたが、『聞けないよねぇ』という雰囲気でした。でも質疑応答の時に、なぜか章男社長と目が合って(苦笑)。前もって用意した質問じゃなくて自然に出た言葉でした。我ながらよく言えたと思います」

Woven Cityの礎となる東富士工場の想い #03

長谷さんはTMEJ の前身の旧関東自動車工業の出身。2000 年の横須賀工場の閉所に伴い、東富士工場に異動して働いていました。そんな中での2 回目の閉所。「東富士工場には、一緒に働く良い仲間が周りに沢山いました。東富士の閉所は過去の自分の経験が重なり、発言しました」この質問に返答する形で豊田社長がこの場で初めて話したのが、のちにWoven Cityに繋がるコンセプトの話。直接豊田社長の言葉を聞き「退社する人と東北に異動する人、各々の踏ん切りがつきましたが、工場の未来に対して少し期待も芽生えました」と振り返る長谷さん。

Woven Cityの礎となる東富士工場の想い #04

賢木さんは、次のように振り返ります。「豊田社長がWoven City の構想を発したきっかけは長谷さんの発言かもしれませんが、やはり53 年間、ずっと『自分以外の誰かのために』を積み上げてきたからこそ、あの瞬間があったんだと思います。救われたのは、東富士が更地になって終わりじゃないんだ、自分たちが作ってきた工場の跡地が未来に繋がっていく、自分たちがその架け橋になるんだ。そういう自負が自分にも皆にも、生まれたことです」

Woven Cityの礎となる東富士工場の想い #05

2020 年末の工場閉所まで、賢木さんは社員との面談を通し「一人ひとりに寄り添う」ことを大切にしました。これまでの感謝を伝える家族・OB 向け工場見学や、最後までモノづくり技術を磨くなど、東富士工場の歴史を未来に繋げる様々な取り組みを実施。また、少しでも早くWoven City の準備が開始できるよう、生産活動を継続しながら、思い出が詰まった建屋の撤去工事を順次開始しました。「工場が未来へと引き継がれ、夢ある場所になることが、今も自分のモチベーションになっています」

Woven Cityの礎となる東富士工場の想い #06

未来に向けて

東富士を知る者にとっては、未来が故郷になる、そういう期待があります——。そう述べる賢木さんが今、勤務する宮城大和工場のエントランスは、明るい色のフローリング張りで、さらに休憩スペースやカウンターなども従業員のDIY で実現されたそう。「東富士でやったことを、ここでもやっているんですよ。カイゼンって効率のためじゃなくて、自分以外の誰かのために人が働きやすくするためにやるもの。環境がよくなって声を掛け合って、力を貸し合えるようになれば、品質も上がってお客さんによりよいものが届きますから」

Woven Cityの礎となる東富士工場の想い #07
宮城大和工場エントランス

そして最後に長谷さんが、WovenCity に大きく期するところを語ってくれました。 「Woven City には様々な選択肢を作り、多くの人にその可能性を提供する場所になって欲しいですね。一人だけ笑っていてもダメ。幸せの量産、笑顔の環が広がるって、そういうことだと思うんです」

Woven Cityの礎となる東富士工場の想い #08

賢木 和義 Kazuyoshi Sakaki

宮城大和工場・工務部部長
1990年、旧関東自動車工業に入社。生産管理部ついで生産・調達企画部を経て、2013 年より東富士工場にて勤務。のちに工務部部長として東富士工場に関わる。2021年より現職。

長谷 貴樹 Takaki Nagatani

岩手工場・塗装成形部第2塗装課第22塗装係 エキスパート
1991年、旧関東自動車工業に入社。2001 年1 月付で東富士工場に異動し、塗装課に配属。2021 年より現職。

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